2015年04月22日

舞本番

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 朝の内に渡具地海岸での撮影を終え、南部安耶さんの「慰霊の舞」を撮るべく南部の米須に向かいました。前の晩に北谷の電機製品量販店でMacに繋いで使える簡単なPAシステムを買ってあったので、それを使って壕に滴る水の音を再生しました。安耶さんに壕に滴る水の音で踊って貰うのです。地面から湧いて出てくるように現れる踊り手南部安耶。しとしと降る小雨の中、こんもりした暗い木々の茂みを背景に17才の少女たちを想い慰め踊ります。
 
 拓郎さんの友人、相川雅久さん、小川櫻時さんのお二人が、わざわざ北部から駆けつけて下さり、プレイバックや雨除けの傘持ちなどを手伝って下さいました。結果、いつも2人か3人だったのが、総勢6名の大所帯?で、ゴーヤチャンプルー定食などを頂く賑やかなランチとなりました。沖縄で頂く料理はどれも量が多い感じです。定食などを頼んでも満腹になる程の量で値段も良心的です。スーパーなどで食材を買うとそんなに安い印象はないのに、食堂だといつもボリュームありです。
posted by 17才 at 17:41| Comment(0) | 日記

2015年04月21日

米軍上陸

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1945年4月1日渡具地海岸など沖縄本島中西部の海岸は連合軍の艦船で埋め尽くされました。海を見ると艦船で真っ黒で水面が見えない程の数だったそうです。かつてこれほどの艦船が集結したことは歴史上一度もない筈です。
北飛行場(読谷村)、中飛行場(嘉手納)の占領が第一目標とされ、そのために砲弾44,825発、ロケット弾33,000発、迫撃砲弾22,500が撃ち込まれました。
日本軍は水際作戦を放棄していたため、アメリカ軍はその日のうちに60,000人を揚陸。彼らにとって、その日の上陸作戦はピクニックのようなものだったとのことです。

そんなことを思い浮かべながら、カメラフレームを決めるために渡具地海岸の大きな岩に登り海を見渡す。遠浅の海の遥か彼方に千畳敷のような大きな洗濯岩があり、その岩盤の上に立ち、何を採っているのか漁をする人が見える。その人を避けてカメラを少し北に振る。これで余計なものが映ることはないと思ったら、林から砂浜へとロングボードを抱えて歩いてくる人影。あーあ。サーファーが沖へとパドリングして米粒よりも小さくなるのを待つ。不思議とイライラしない。この大きく開けた風景の中に自分がいるからなのか、撮影クルーがミニマムだからなのか。
posted by 17才 at 22:57| Comment(0) | 日記

2015年04月20日

慰霊の舞

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 拓郎さんの友人、相川雅久さんは沖縄に移住されていました。二日程前に相川さんに紹介して頂いた踊り手、南部安耶さんと那覇国際通りのコーヒーショップでお会いしました。

「語るために生かされているのだ」と宮城巳知子さんが仰っていますが、それは戦争の悲惨さを語り、平和の尊さを伝えることだと思いますが、何よりも亡き友たちのために語るのだと感じていました。17才で命を落とすことの無念さに違いありません。

 安耶さんには、彼女たちの悲しみ、苦しみ、希望と喜びを舞で表現して下さるようにお願いしてありました。再び国際通りのコーヒーショップで会って、その「慰霊の舞」のリハーサルをお願いしました。リハーサルを行う公園に行く途中に安耶さんの知り合いの店があり、そこでリズムを刻むボンゴドラムをお借りしました。成井俊美さんが、パーカッションの心得があるということで、ボンゴを叩いて下さいました。お上手!
posted by 17才 at 23:30| Comment(0) | 日記