2015年04月16日

蚊の大群

荒崎海岸_4-16-15.jpg
私が用意してきた質問を宮城さんに投げ、それに答えて頂いて撮影を進めるのですが、私の質問が終わらないうちに宮城さんが答え始めてしまうと、そのテイクは使えなくなってしまうので、質問終わりで合図をしてから答えて貰います。
お元気とは言っても、ご高齢なので、昼には撮影を切り上げ、再び米須壕に向かいました。
その日の米須壕の蚊の多いことと言ったら、すごい数で、とても撮影に集中できるような状況ではありません。近くのコンビニに駆け込み、虫除けスプレーと虫除けジェルを購入。スプレーは時間が経つと効かなくなってくるのですが、ジェルはかなり長い時間効き目が持続しました。そんな風に蚊と戦いながらこの日は天気雨のない、青空の下の米須壕のワイドショットと、重くのしかかる壕の岩肌、風になびくシダなどのカットを撮りました。

写真は米須壕での撮影の後に撮影した荒崎海岸です。追い詰められた日本兵、学徒隊、多くの住民が、被弾して命を落としたり、火炎放射器で焼き殺されたりしました。 又、「生きて虜囚の辱めを受けず」と教育されていましたので、たくさんの人が不本意にも自決しました。70年前、この美しい海岸で想像を絶する酷い光景が繰り広げられていたのです。
私たちが撮影している時にも、大阪から来たという女性教員数人のグループがこの地を訪れ、海に向かって黙祷されていました。



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2015年04月15日

宮城さんの撮影

宮城さんの撮影_4-15-15.jpg
2012年8月18日
私たちは、北谷のダイビングスポット脇にある、ダイバーが好んで泊まるコンドミニアムのようなスタイルのホテルに泊まっていました。宮城巳知子さんが住む嘉手納町までは車で20分程度です。嘉手納基地を右手に見ながら回り込むように走り続け、嘉手納道の駅の手前を少し入ると宮城さんのお宅です。現在の家は、宮城さんが生まれ育った家、本家の二軒隣りです。
ご本人、ご主人、宮城さんの長女で成井俊美さんの奥さんと、初対面の挨拶を済ませ、撮影に使わせて頂く応接間に通して頂きました。宮城さんが色々な方と面談をされる時に使う部屋だそうです。ほぼ6畳の広さの部屋にロッキングチェアーと応接セットがありました。ロッキングチェアーは宮城さんのお気に入りだそうです。

宮城さんが、ロッキングチェアーに座ってお話をして下さることを想像してカメラポジションを決めました。さて、音声スタッフは連れて行かなかったので、私たちは撮影と同時に録音もしなければなりません。拓郎さんが機材屋で貸して貰った録音機器の配線を済ませ、撮影準備完了です。
私たちが機材を準備している間に宮城さんも身支度をされていました。ブラウスは宮城さんお気に入りのものだそうです。機材屋で教えて貰った通りにガムテープを折り三角の両面状にして、ブラウスの胸元裏にマイクを貼り付けました。いよいよ宮城さんの撮影開始です。
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2015年04月14日

米須壕

米須壕_4-14-15.jpg
何しろ8月、真夏の沖縄。しかも一番暑い昼下がりだったので、米須の交差点にあるコンビニに立ち寄って、一息ついてから米須壕を探して331号線を行ったり来たりしました。これといった目印もなく米須壕に通じる道が見つけにくいのです。ようやく見つけて、車が一台やっと通れる畑の中の道を入って行くと、ようやく米須壕に辿り着きました。当時とは違って壕の入り口にはポンプ小屋が建っていて、壕へ降りていく階段手前にはホースやビニールシートが無造作に置かれていました。置かれているのか、捨ててあるのか、よく分かりません。

この米須壕は、日本軍の本部壕として使われていた壕で、ここから米須交差点にあるコンビニの裏まで続いているそうです。おそらく300メートルは続く長い自然の洞穴ということになります。
私たちが米須壕に着いた時、ひとりのおじさんが来ていて、ポンプで壕に溜まる水を汲み上げ、軽トラックに載せてある大きな貯水用のポリタンクに水を溜めていました。畑へ運んで農作物の水やりに使っているようでした。

伊原壕で、宮城巳知子さんたち女子学徒隊に対して軍から解散命令が出た後、再び集まれと命じられた集合場所がこの米須壕です。
私たちが行った時は、天気雨が降っていて虹が見えてもおかしくないような天気でした。南国らしい天気の中ワイドショットの撮影を終えました。
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