2015年04月10日

ずいせん学徒の沖縄戦

 最前線へ送られた女学生の手記「ずいせん学徒の沖縄戦」を読みました。
この本は、2002年6月23日(沖縄慰霊の日)に発行されています。「ずいせん」というのは「瑞泉」と書きますが、当時の沖縄の女学校はそれぞれ学徒隊としての呼び名がついていたようです。例えば、首里高等女学校は「瑞泉学徒隊」、沖縄師範学校女子部と第一高等女学校は「ひめゆり学徒隊」、第二高等女学校は「白梅学徒隊」というように。
 
 それまで、いろいろと映画の構想を練っていましたが、この宮城巳知子さんご本人が記された本を読んで、ここから出発しようと思いました。
語り部宮城巳知子が、300回の講演で、何を話してきたかがはっきりしました。
沖縄戦の最前線へ駆り出され、弾雨の中をくぐり抜け、九死に一生を得て、亡くなった友のことを語ることで彼女たちを慰める。語ることで、今を生きる私たちに平和の尊さを説いてきたのです。

 宮城巳知子は本の終わりを次のように結んでいます。
さわやかな潮風に乗って、私には亡き学友たちの声が、はっきりと聞こえます。「どうか、私たちのことを思い出して。そして、この事実を伝えてちょうだい」と。
posted by 17才 at 22:03| Comment(0) | 日記

2012年7月30日成井俊美さんに会う

宮城巳知子さんは、メディア対応などは、長女のご主人、成井俊美さんにやってもらっているので、我々の撮影の件もその方と打ち合わせをして下さいということでした。
成井さんと電話でお話をさせて頂いた時に、撮影スケジュールは2012年8月20日から30日迄とすることでお願いしました。午前中に1時間、午後1時間、巳知子さんは体力が衰えていて疲れ易いので、体調次第では休みの日もあるという条件でした。
そのスケジュールで沖縄へのフライト、宿泊などを準備していたのですが、拓郎さんの仕事の状況が変わり、撮影を前倒しすることになりました。8月16日から26日でお願いすることになり、成井さん経由で巳知子さんの承諾を貰いました。

7月30日初めて成井さんと会うことになりました。予め風貌を伺っていたので、直ぐにわかりました。
宮城巳知子さんが書いた文章に成井俊美さんが描いた絵で構成されている「ずいせん学徒の沖縄戦」を頂いたのはその時でした。
posted by 17才 at 00:30| Comment(0) | 日記