2015年11月01日

宮城巳知子さん亡くなる

 昨夜、宮城巳知子さんがお亡くなりになったそうです。先程、沖縄の宮城千恵さんから訃報を受け、娘婿の成井俊美さんにお悔やみの電話をしました。ご家族に看取られ、安らかに永遠の眠りにつかれたそうです。
 Michiko_#2 のコピー.tiff改めて略歴と写真をご紹介させて頂き、宮城巳知子さんのご冥福をお祈り致します。

Michiko_#2-のコピー.jpg

                     
                  宮城巳知子

1926年(大正15年)4月12日沖縄県北谷村字屋良(現在の嘉手納町)に6人兄妹の末っ子として生まれる。
1945年(昭和20年)沖縄県立首里高等女学校4年在学中に看護要員、女子学徒隊(ずいせん学徒隊)として、日本国陸軍第32軍62師団(石部隊)に従軍。弾雨の中ナゲーラ陸軍野戦病院壕にて第41期生として卒業式を迎える。ずいせん学徒隊全61名中33名が戦死する中、九死に一生を得る。
敗戦後、沖縄文教学校(現琉球大学)卒業。小学校教諭として永年教育に携わり、退職後第二次世界大戦沖縄戦の「語り部」として反戦平和教育に精力を注ぐ。

1999年(平成11年)NHK沖縄「沖縄/映像の20世紀」で平和活動が特集される。
2001年(平成13年)文部科学省刊「21世紀の生涯学習入門」で詳しく活動が紹介される。
2010年(平成22年)300回の講演後に語り部を引退する。

「再び沖縄を戦場にしない、沖縄から戦場に向かわせない」
私は生き残った者の使命として、「世界平和を力のバランスによらない方法で勝ち取る」努力をすべきだと思っています。そのためにいま私にできることは、将来をになう子供たちに戦争の恐ろしさ、空しさを伝え残すことだと信じています。それがこの国のために若い命を散らした学友や将兵に、また戦争を知らない現代っ子たちのためにも、意義あることだと考えるのです。

著書:「ずいせん学徒の沖縄戦」最前線へ送られた女学生の手記 ニライ社発行


posted by 17才 at 18:09| Comment(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: