2011年6月23日。東日本大震災から三ヶ月ちょっと経った時でした。朝日新聞紙上にこの記事を見つけました。

記事を読み終わるとすぐに、宮城巳知子さんの語りを残さなければならないという思いが込み上げてきました。85才というご高齢。最近は体調が優れない。今すぐ取り掛からないと、沖縄戦体験者の生の声が聞けなくなってしまうという焦りを覚えました。
私が記事を読んだ一月後、知り合いの撮影監督岩神拓郎さん、照明技師齋藤勝範さんにこの記事を読んで貰いました。私が映画にして残したい旨を伝えると、二人とも全面的協力を約束してくれました。
その後、岩神拓郎さんの紹介で、撮影機材屋小輝日文の奥山恭男さんに映画の企画書を読んで頂きました。奥山さんは映画製作企画意図をご理解して下さり撮影に使うカメラと録音機材を用意して下さいました。
こうして、みなさんのお力をお借りして、翌2012年8月18日沖縄嘉手納のご自宅で宮城巳知子さんの語りの撮影を始めました。
因みに「慰霊の日」というのは、1945年6月23日、日本軍第32軍司令官牛島満中将ら司令部が自決したことから、沖縄戦の組織的戦闘が終結したものとし、後にこの日を「慰霊の日」という記念日に定めたそうです。
アジアの国々を植民地支配しようと戦争に突き進んだ愚かな国、大日本帝国。その第二次世界大戦敗戦間近、50倍の戦力を持つ連合軍を相手に繰り広げられた沖縄戦。犠牲となった、すべての沖縄のみなさまに黙祷。