2015年11月02日

『89才の別れ』

 宮城巳知子さんの告別式は、本日16時沖縄県嘉手納葬祭場で行われるそうです。
17才で別れた沖縄県立首里高等女学校のお友だちのところへと、89才の巳知子さんが旅立たれます。
 沖縄戦を生き抜き、長年に亘りその凄惨な体験を私たちに語ってくださりありがとうございました。
「巳知子さん、あなたの語りは映画『17才の別れ』の中で、生き続けます。」




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2015年11月01日

宮城巳知子さん亡くなる

 昨夜、宮城巳知子さんがお亡くなりになったそうです。先程、沖縄の宮城千恵さんから訃報を受け、娘婿の成井俊美さんにお悔やみの電話をしました。ご家族に看取られ、安らかに永遠の眠りにつかれたそうです。
 Michiko_#2 のコピー.tiff改めて略歴と写真をご紹介させて頂き、宮城巳知子さんのご冥福をお祈り致します。

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                  宮城巳知子

1926年(大正15年)4月12日沖縄県北谷村字屋良(現在の嘉手納町)に6人兄妹の末っ子として生まれる。
1945年(昭和20年)沖縄県立首里高等女学校4年在学中に看護要員、女子学徒隊(ずいせん学徒隊)として、日本国陸軍第32軍62師団(石部隊)に従軍。弾雨の中ナゲーラ陸軍野戦病院壕にて第41期生として卒業式を迎える。ずいせん学徒隊全61名中33名が戦死する中、九死に一生を得る。
敗戦後、沖縄文教学校(現琉球大学)卒業。小学校教諭として永年教育に携わり、退職後第二次世界大戦沖縄戦の「語り部」として反戦平和教育に精力を注ぐ。

1999年(平成11年)NHK沖縄「沖縄/映像の20世紀」で平和活動が特集される。
2001年(平成13年)文部科学省刊「21世紀の生涯学習入門」で詳しく活動が紹介される。
2010年(平成22年)300回の講演後に語り部を引退する。

「再び沖縄を戦場にしない、沖縄から戦場に向かわせない」
私は生き残った者の使命として、「世界平和を力のバランスによらない方法で勝ち取る」努力をすべきだと思っています。そのためにいま私にできることは、将来をになう子供たちに戦争の恐ろしさ、空しさを伝え残すことだと信じています。それがこの国のために若い命を散らした学友や将兵に、また戦争を知らない現代っ子たちのためにも、意義あることだと考えるのです。

著書:「ずいせん学徒の沖縄戦」最前線へ送られた女学生の手記 ニライ社発行


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2015年08月27日

朝日新聞神奈川版

 添付新聞切り抜きは、朝日新聞神奈川版に掲載された記事を、鎌倉広町田んぼの会の豊田充さんがメールして下さったものです。
 
 アルバムは、母が1935年3月横浜紅蘭高等女学校(現在の横浜雙葉中学高等学校)を卒業した時のものです。アメリカ軍の空襲で住んでいた家も全て吹き飛ばされたのですが、瓦礫の中にこのアルバムを見つけて、以後大事に保管していました。先日、身の回りの物を整理している時にこのアルバムも捨ててしまおうかと思ったのですが、思い留まり、これからもずっと保管していこうと思っています。


Asashi-Yokohama_8-27-15-S.jpg

横浜香蘭高等女学校卒業アルバム_1935-S.jpg

母、加藤八重子_1935-S.jpg
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