2015年06月23日

慰霊の日

 
 沖縄県民の4人に1人がその尊い命を落とした沖縄戦。組織的戦闘が終結したとされる1945年6月23日。沖縄本島南部へと追われた多くの沖縄県民が、この日を目前に亡くなっている。
 
 人がどれだけ亡くなっても権力者は人の命の尊さに気付かない。「国民の命と財産を守るため」という大義名分の下、積極的に「戦争法」を作っていく。

慰霊の日を重ねる度に沖縄戦体験者が減っていく。沖縄戦の語り部がいなくなっていく。
 

写真:負傷兵を運ぶ 1945年6月20日

負傷者を運ぶ_6-20-45-S.jpg
posted by 17才 at 22:41| Comment(0) | 日記

2015年06月21日

後付けされた法律

 1943年「学徒戦時動員体制確立要綱」が閣議決定されると、男子学生は授業半分戦技訓練半分となり、女子学生は看護衛生救護訓練を受ける。翌1944年には「決戦非常措置要綱」が閣議決定される。授業は中止され学校は兵舎となる。男子学生は陣地構築、女子学生は飛行場造りなどに動員され、その後法的根拠もなく戦場に動員される。
 皮肉にも学徒を戦場動員する法律が公布されたのは、沖縄戦で組織的戦闘が集結した1945年6月23日。
この日は現在「沖縄慰霊の日」とされています。
 
写真:断崖絶壁を登り投降する島民 1945年6月17日
断崖絶壁を登り投降する島民_6-17-45-S.jpg
posted by 17才 at 17:39| Comment(0) | 日記

2015年06月20日

生きたい

 戦時中、日本軍には「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓が徹底されていて、それが民間人にも広められていました。「敵の捕虜になる前に自決しろ」という、日本以外の国では考えられない思想です。民間人が捕虜になって、自分たちの居所を敵に喋られるのを恐れてのことです。
 1945年3月26日アメリカ軍が慶良間諸島に上陸してからは、日本軍の指導の下、集団自決が沖縄各地で起こりました。家族が山や壕に集い、斧や鉈などの刃物を頭や首を目がけて振り下ろしたのです。
 

写真:米兵に促され投降を呼びかける青年 1945年6月17日
米兵に促され投降を呼びかける青年_6-17-45-S.jpg


posted by 17才 at 12:57| Comment(0) | 日記